虚しさ
虚無感
夫が亡くなってすぐの時は
パニック
現実を受け入れられない
不安
恐れ
とにかく
どうしていいかわからない
けれどやらなければならない事に
翻弄される日々
思考力
判断力
認識力
全てが出せない状態だった
時間が経つと
いない事の
辛さ
哀しみ
喪失感が深くなり
抑うつから出られない状態になった
今感じるのは
何をしても
虚しさ
虚無感が
押し寄せる事
先日迷った洋服を
全て買って
今日は
ようやく
おりんや手元供養用のものを
いくつか購入もした
いいなと思ったものを
買っても買っても
やはり虚しさに
還って来てしまう
ものでは埋まらない
もう二度と
生活を共にし
語り合い
2人で思い出を作る事が
出来ない事への虚しさ
代わりがいない現実に対する
虚しさ
悲しみは癒えても
虚しさは
この先ずっと抱えるのかな
だって
主人はいないんだもの
愛憎あっても
やっぱりもっと
ずっと一緒に
いたかった
亡くなってしまっては
やり直す事も出来ない
今回の人生ってなんなんだろう
私は人生に失敗したのだろうか
愛する人を
こんなに突然に亡くして
こんなに心に傷を負って
1人で生きなくてはならない事
どんなに些細な幸せや
喜びを感じようとしても
何かふと
1人取り残された
虚無感を
感じずにはいられなくなる
私の片割れ
分身
そんなものが
もぎ取られたかのような
伴侶の死
苦しい10カ月だった
当初の苦しさは
今は少し薄れてはいても
虚無感はどんどん大きくなって
1人という現実を突きつけてくる
生きてたとしても
日中は顔を合わせず
何を考えてるのか
わからない
土日さえ
仕事か、何かの集まりに
出かけてた
平日もほぼ連日会食
コロナ禍で自宅療養の時
貴方は弱っているのに
私の行動、買い物の仕方で
随分心配や恐れを
助長してしまったかもしれない
鬱病について
知れば知るほど
苦しくなる
まだそこには着手出来ない
2019から2020年の
カレンダーや日記を
見返す事も
今はまだ出来ない
去年の今頃は
たしかに生きてくれていたのに
なんで今年はいないの?
恋しいし
会いたいし
文句のひとつも言いたいよ
虚しい気持ち
わかってよ…
遺品
大切な人の
遺品整理
皆さんはどうしていますか?
私は
夫が亡くなってすぐ
引越しを
しなければならない状況でした
夫婦2人
だけど
抱えている荷物は
計り知れない程
詰まっていて
それを
いきなり1人分の
サイズダウンなんか
頭が回っていない時に
かつ
夫の物に触れるだけで
体や心が痛くなって
仕分けなんて
拷問に近いくらい辛かった
でも、
平米数は明らかに
下がるから
物理的に
断捨離はしなくちゃならなくて
主人のものや
2人のもの
私のもの
1/3位は
手放したかなぁ
主人のブランドの
衣類は
全くお金にならなくて
メルカリで自分で売った方が
お金にはなったかもしれない
でも…
お金じゃない
手放す事に痛みが走るなら
もうこのまま持っていこうって
途中で決めた
とりあえず
まだ整理出来ない
遺したい物全てを
運んで7カ月
段ボールからは出したし
主人の思い出コーナーも作り
細々した遺品も
とりあえず
お気に入りのBOXに詰めた
クローゼットも一部屋分は
主人のもの
それ以外は
私か
2人で買った物
やはりその量に
いつも罪悪感がよぎる
かと言って
今すぐは
捨てられない
手放したくないよ
まだまだ生きた証を
感じていたいもの
こんな本読んでたんだ
こんな服好きだったんだ
こんなペン持ってたんだ
遺されたもの達から
主人を知る
一年も経ってないんだもの
まだまだ貴方を感じていても
いいよね
私のものは
整理出来る
そう思うけど
結局
貴方に買ってもらったものばかりだから
躊躇うの
新しいものを入れる前に
捨てろっていう断捨離
洋服とか色々
買い控えていた時もあった
もう贅沢しちゃいけないって
けど
心が惨めだった
これ頭の声だもんね
今は
そんなに高いものじゃなくても
気に入ったもので
着たいものだったり
使いたいものだったり
あったら気分が良くなるものなら
贅沢しちゃいけないって
頭の声がうるさくて
即決出来なかったら
一晩寝かせておいて
それでも
欲しいなと思うなら
改めて買いに行く事にしている
行動範囲が狭いから
近場で買えるものだけれど
私はやっぱり
新しい洋服が好き
食べるものも
食養生しながらだけど
厳選されているなら
パンも好き
甘い物も好き
体に良くて美味しい食事が好き
お気に入り
と言っても
散歩帰りのタリーズとかだけど
豆乳抹茶ラテかほうじ茶ラテと
読書の時間
そんな事も
今の私の至福
さもない幸せ
虚しい中にも
些細なホッとした時間になる
安らげる時間
断捨離しなきゃいけない衣類を眺めつつ
昨日見かけた新しい服を
買おうか迷っている
それだけ気分が
落ち着いてきたという事かもしれない
それ来てどこに行くなど
計画もないけれど
着た自分を想像したら
素敵でいい気分になれるかどうか?
それを今感じる余裕の出た
自分自身に
心の変化を感じている
一人暮らし
後を継ぐ者もいず
いつ死ぬかわからない身
ものは少ない方がいい
そう決めつけていたかもしれない
行く行くはそれが目標
でも今はそんなに完璧にならなくていい
今を愉しもう
ゆっくりと
好きなものを吟味して
心はもう手に入れたいって
方向向いてる
じゃあ散歩に出掛けて
もう一度試着してみようかな
そんな心の動きが
日常を哀しみから
回復させてくれるんだ
ねぇ
私1人でも
こうやって
頑張って幸せを感じようとしてるよ
貴方が居なくなって
仕事もせず
くっちゃねしかしてないけど
ようやく
暗闇の心に光が少しずつ
当たってきたよ
仕事…志事
きっと見つかるよね
安心して生活できるように
なるよね
今年も早4カ月が過ぎた
今年の1/3
これからの4カ月
今より少しずつでも
何か道が拓けたらいいな
貴方の生きた証を
取り戻して
私の心の中で
生かせる事
そんな出会いや知らせに
つながりますように
月命日10回目
今日は
10カ月後の月命日
奇しくも
自死遺族の法要を
安楽寺さんで
して下さるとの事で
参加した
ここの伊藤住職さんは
僧侶による自死遺族のつどいの会を
主催していらっしゃる方のお一人
夫と死別後
とにかく
どうしたらいいのか分からず
でも自死をした夫の魂を
なんとか助けてあげたくて
YouTubeや情報に
答えを見つけようと
必死だった
毎日大愚和尚と、
義実家で義母に迷惑かけないよう
イヤホンで聴き
その中で手続きに奔走し
体を使いまくっていた
拠り所は仏教だったように思う
般若心経他あらゆるお経を唱え
必死だった
何より直に
お話しを聞いて
私がどうしたらいいか
説いてくれる人を
求めていた
カウンセラーから
死別の自助会がある事を聞き
またそれも探して探して
グリーフケアという言葉を
初めて知った
けれど世の中はコロナ禍
簡単に人に会えず
またそういった会も
開催を中止のところばかりで
途方にくれ
マインドフルネス瞑想を
Live YouTubeでやってくれていた
児玉美保先生の早朝瞑想会を見て
その時間だけは
人と繋がっている事で
何か安心出来ると
半ばすがる気持ちだった
そのうち、自助の会も
オンラインで開催するところが増えて
色んなところを試した結果
続いたのは
僧侶のつどいの会
だった
色んな宗派関係なく
我々自死遺族に向き合って下さり
釈迦、仏教、宗派の考え方などから
して下さる
何かそこで解決する事はなく
ただただ現状を吐き出し
他の参加者の言葉も聞き
自分1人ではないんだなと
その深い悲しみを共有する
それが月一回の
唯一の
すがりどころ
だった
先月位から
どうやら哀しみの気持ちが
少しだけ
薄らいだように感じ
やすらぎの里での
心身の癒しで
前を向こうとする
ベクトルが変わったからか
自助の会や
グリーフケアのワークショップが
とても負担に感じるようになってきた
日常の足取りも以前と違い
やるべき事をこなしている
どうやってこれから暮らしていくか
経済を立て直していくか
不安からではかく
真剣に具体的に考えるようになった
しかし
そういったワークやお話会に出ると
途端に気分が重くなり
背中に緊張も走り
終わった後は
かなりぐったりしている
勿論涙も沢山流す
少し
お休みしてもいいのかもしれない
何より
悲しかった事
悔しかった事
許せない事は
あるけれど
前を見てもいいと
初めて感じている
心の変化
夫の生きた証を遺したい
そう最近は思う
2カ月後には
一周忌
多分また家族のみでだろう
外面が良く
友人知人も多かった夫にとっては
歯痒く、残念かもしれない
でも、コロナ禍だから
私にとっては
多くの人に挨拶しなくて
ちょうど良かったと思っている
けれど
夫が外でどう生きてきたか?
全くわからないから
それは知りたい
この人は
と思う人に
お手紙を書いてみようか
迷っている
貴方は
どうして欲しいの?
問いかけたんだから
答えてよね。
私にわかるように
知らせてよね。
やすらぎの里 最終日
いよいよ今日で最後の日
ヨガと朝ウォーキング
この日は快晴
とても良い天気だ
来た時より
私も笑顔が増えている
明らかに心が元気になっている
そう自覚出来ている
ここにこれた感謝しかない感覚
全てが有難かった
朝ヨガや安眠ヨガは
これからも
なるべく続けたいし
何より
食習慣も続けたい
(この日の朝食は養生食の全量
お土産の自然の恵ケーキもついて嬉しい)
そして、ここに流れる音楽も
心地よく
YouTubeの大沢先生の
番組で
バックに流れているという
本当にあったかい場所
近隣を散歩して
素敵な別荘らしきお家を
見ては
今の自分とは
程遠いと比較して
自分の惨めさ
羨ましさを感じ
チクチク胸が痛かったけれど
実際大金持ちの人でも
実態はわからない
幸せな人も勿論いるでしょう
けれど
外側からではわからない
持つ者の悩み苦しみが
もしかしたら
あるかもしれない
私は今
自分が理想としていた
贅沢な暮らしではない
大切な頼りの人を失った
ある意味どん底にいる
でも一方で
自由でもあるのかもしれない
相続も終わり
家も土地も
重たいものはなくなった
あるのは
2人で、あるいは自分で
持ち越してきた荷物達
そして
かけがえのない想い出
夫の生きた証を
探したい
遺したい
そして
私の新たな人生を
出来るだけ
幸せに
安らかに
穏やかに
創っていきたい
やすらぎの里のような
存在に
私がなっていけたらと
思う
another star
以前ラジオで
流れてきた曲
スティビーワンダーの
another star
何かメランコリックで
涙が溢れた
急いで歌詞を見てみたら
starは比喩で
別れた恋人への想いの歌だそうだ
夫からのメッセージにも
私は受け取れた
こんなふうに思ってくれているのなら
全てを許せる…かもしれない
どうかな…
…………
アナザー・スター
お前なら
もっと派手でカッコイイ
そんなやつにも会えるだろうけど
今の俺に見えるのは
お前の姿だけなんだ
お前なら
また誰かを好きになったり
できるのかもしれないけど
俺の心に響いてくるのは
お前だけしかいないんだ
ずっと昔心の奥で
他の人じゃダメだって
気付いてたハズなのに
それでも本当はわかってなかった
その人を好きになったら
心がズタズタになるような
辛い思いをするってことが
お前には恋なんて
乾杯で飲むシャンパンみたいに *
気楽で華やかな
出来事かもしれないけど
その相手になるヤツが
お前を大事にしてくれる
マトモなヤツであるように
俺はここで祈ってるよ
お前なら
他のヤツと恋だって
またできるのかもしれないけど
でも俺はこれからも
2人の思い出を大事にするよ
ずっと昔心の奥で
他の人じゃダメだって
気付いてたハズなのに
それでも本当はわかってなかった
その人を好きになったら
心がズタズタになるような
辛い思いをするってことが
お前なら
もっと派手でカッコイイ
そんなやつにも会えるだろうけど
今の俺に見えるのは
お前の姿だけなんだ
お前なら
また誰かを好きになったり
できるのかもしれないけど
俺はこれからも
お前を想いつづけるよ
やすらぎの里3日目
充実した2日間を終えて
もう3日目
雨模様の朝
とても冷えて寒かった
ヨガだけやって
お散歩はパス
施術をしてもらって
食事
味覚が敏感になったせいか
ピクルスの酢が
とても強く感じた
卵のとろっと加減が美味しい
ブルーベリーのヨーグルトも嬉しい
もうこの頃になると
ゆっくり
一口ずつ箸を休めて
よく噛んで飲み込む事が
楽しくなってきた
良く噛む事で
胃腸を労ってあげられていると思えば
何か
良い事をしている気になる
自分に優しく
自分を大切にするとは
こんな細やかな事で
いいのかもしれない
それが出来ている自分が
誇らしいし
幸せすら感じられる
そしてそもそも
こんな経験を出来たのは
主人の遺してくれた遺産が
あったから
そう思えば
主人に感謝も湧いてくる
ありがとうね
大事に遣わせてもらってます
そして今日は
90分の整体も
オプションで入れた
鍼もしたかったが
私のカッピング状態を見て
内出血をしそうだからと
整体とお灸だけにしてもらった
腰痛と五十肩
本当に辛かった
施術の方と随分お話しして
何より体に触れてもらって
痛みをとってもらえた事で
心が緩んで
涙がまた止まらなかった
タオルでずっと
拭いてくれた優しい方だった
そんなお人の温かさが
随所に溢れているのが
やすらぎの里なんだ
大沢先生の理念が
社員の方全員に
行き届いている
素晴らしい施設だなって感じた
ここにきて本当に良かった
時間があまりなかったので
本館へ見学
このテラスに来たかった!
高原館から海は見えないから
うみちゃんも相変わらずお昼寝
夕方から
セルフ整体と食のワーク
夕食後は
生活習慣改善講座
そしてお楽しみお茶会
フルーツふんだんな
自然の甘味がとーっても
心と体に嬉しかった
中のフルーツも頂き
断食コースの方にとっては
まさかのデザート感覚だったのでは
食事やお茶やワークで
一人で来ている色んな人と
お話ししてみた
人それぞれ
来た理由は違うけれど
何かしら
辛い過去を抱えて生きてきた人もいた
私と同じ
ここにくる人は
そういう人も多いのかもしれない
だからこそ
距離をとても大切にしながら
分かち合ってくれる
その距離感が
嬉しかった
その立場でアドバイスをくれた人もいて
有難かった
館長さんの思いやりある
お茶会で
そんな交流を持てた事に
感謝が溢れる
明日でいよいよ最後…
来た時のメソメソとは違う
明らかに少しだけ
元気になれていた
人の優しさが身にしみて
感謝の涙に変わっていた
1人でも
1人じゃない
みんな同じ
みんな何かを抱えてるんだ
表面だけでは決してわからない
だから
勇気を持って
自分から
開示すると
思わぬシンクロから
同じ共鳴が起きたりする
というか共鳴する人を
引き寄せているのかもしれない
外の世界が
自分の鏡なら
こんなに温かく
親切な人達のいる世界に
来れた自分が
なんだか嬉しかった
心が安らぐ
やさしさ
しあわせ
そんな穏やかな一日を過ごせた
本当に久しぶりなこの感覚
何も心配のない日常を過ごしていた頃の
穏やかな気持ち
今ここ
そこを意識して
今を味わうだけで
本当は穏やかになれて
幸せを感じられるのかもしれない
そんな基本的な事を
改めて感じた
やすらぎの里2日目
2日目
朝6:30 朝ヨガ、お散歩に参加
死別直後は
眠れず
朝4時には起きていた
早く日が昇るのを待って
5:30頃からウォーキングに
出ていた
けれどやはり冬は寒く
日の出も遅いことから
段々と起床時間が遅くなり
夜更かしも増えて
8:30か9時頃に起きるようになっていた
久しぶりの早起き
けれど朝ヨガは気持ちいい
そして散歩も
参加してる皆さんと一緒だから
なんとなく元気も貰える
初めましての方ばかり
なんとなくこの方とお話ししたいなと
思う人と
歩きながら話して
1人者
子なし
将来と健康の不安
同じ境遇だったり
同じ悩みだったり
がわかって
これも共鳴なんだろうなと思う
散歩から戻ったら
豆乳甘酒が用意されていた
基本的に
朝ごはんは10時なので
その前にこうして
お茶や生姜湯やこんなドリンクが
あるのは
素直に嬉しい
意外とお腹は
空いてない
でも
朝ごはんは待ち遠しかった
小花のブーケ💐が
心を和らげてくれる
愛情と真心のこもったお料理
そして体に良い食材と量
人に作ってもらえるお料理は
本当に嬉しい
高原館の館長さんや
厨房のスタッフさん達みんな
とても感じが良くて
人当たりも優しくて
その名の通り
安らぎを与えてくれる
高級感、ラグジュアリー感
豪華な食材でおもてなし…
という高級温泉旅館とは
全くタイプの違う
でもじんわり温かい
隅々まで行き届いた優しさが
今の私には
良薬に感じる
そして今日は
大室山へ
坂道を延々歩いて
山頂まで登った
夫の事から
私は高所恐怖症になっていた
正直ロープウェーは
怖かった
山頂も生きた心地がせず
足がすくんだ
でも
大自然が私を受け入れてくれた
青い空と海
風と緑
2人で行った似かしい場所
セドナや
グランドキャニオン
北海道のイサムノグチの丘
スキーをしたモントランブラント
レイクルイーズのハイキング
白川郷…
山の思い出が蘇ってしまった
今は1人ぼっちで来ている
泣けてくる
でもこれが現実なんだって事
受け入れなきゃいけないって事
何かにつけて
何を見ても見なくても
ふと
思い出が蘇る事があるのも
悲嘆反応の一つらしいから
仕方ないね
せめて
夫の魂は
共に来ていると
思いたい
行きの踊り子号の車窓に
ずっとついてきた
一直線に伸びる雲
あ、夫も一緒に来てくれてるんだって
思ったの
追憶…
それでもいい
そう私が思えばそうなんだ