亡くなる日の事
あの日の前
三日三晩眠れなくて
どんどん痩せて
おかしかった
薬が合わないのか
主治医に電話するも
薬は飲まなくていいというだけ
でも、おそらく
次診察に行ったら
即また強制入院の流れに
なってただろう
私も
夫の異常事態に
何度も救急車を呼ぼう
往診の先生を呼ぼうと言ったけど
意味がない
と避けられて
「入院のにの字も言うな」と
膝に置いた手を払い除けられた
それほどまでに
入院が嫌だったんだろう
けれど
私ももうメンタル的にも
身体的にも
不安で不安で仕方なくて
けれど、誰に頼れなくて
医師達や夫の回復力を信じるしかなくて
トイレにいく回数や頻度を
心配ながら時間を測って
こっそり音を聞いてたり
するしかなかった
もしかして
入院はしたくない
でももうどうにもならない位
体も朦朧として辛い
そして
私にも迷惑これ以上かけたくない
(私もギリギリだと言ってしまったから)
最後に元気だから
大丈夫
入院させないで!の
アピールで
あの朝
「少し良くなったと思わない?」って
うどんを半玉食べてくれた
でも、何度も何度も
ベランダから下を
見ていたよね…
その後
今後の事を色々話して
方針も決めて
私は少し安心して
買い物に行くねって
出かけようとしたら
「行っちゃうの?」って
寂しそうに言ったよね
あれは、行かないでって
意味だったのかな…
私が帰ったら
どこにもいなくて…
窓の外を見たら
まさかの光景だった
薬の副作用もある
朦朧として辛過ぎて
投げ出しちゃったのかもしれない
あるいは憑依?
でも…
1番は
入院したくないのと
私をこれ以上苦しめたくないから
そんな優しさで
命を絶ったのではないだろうかって
どうしても
思ってしまうんだ
本当の理由なんかは
わからないけれど
優しい人だったから
人に迷惑かけたくない人だったから
それを思うと辛い
辛い事は
まだまだ他にもあって…
2年経っても
癒えるには
時間がかかるんだなぁ
外では立ち直れているフリもするし
実際、この日の事を思い出さなければ
普通にもしていられる
でも
6.7月はどうしても
気候的に思い出して
辛い時です
3回忌を終えて
ようやく2年
3回忌を無事終えた
今年は親族も呼んで
みんなでお墓参り
義父とも合同法要
本当の7回忌は去年だったけれど
夫の納骨式もあり
まだ親族にうまく対応出来る余裕がなく
一年延期しての法要
こちらの都合で
一年遅くなってごめんなさい
でも…
なぜ合同になったのか
わかった
真言宗では
3回忌には阿弥陀如来様が
7回忌には阿閦観音(あしゅくかんのん)様が
ご一緒してくれるという
阿閦観音様は厳しくて
もう二度とこの世へは戻らせない
その固い決意をさせて
この世と決別させるお役割だそう
3回忌までには
未練や執着を外し
嘆き悲しむのをやめないと
あの世行きの最終特急に乗れず
歩いてあの世に行かなくてはいけない
そんな事も聞いた事があり
3回忌は
私にとっても覚悟のケジメ
この2年
夫が光の元にある
本来魂が帰るべき
集合魂の故郷にあがられる事だけを
毎日ひたすら祈ってきた
感情は置いておき
口先だけでも
そう祈った時期もあり
まずは3回忌終えられた事
義家の方達とも
色々あったけれど
一応穏やかに法要を済ませられた
時はどんどん過ぎていってしまう
あの日あの時
そして今日までの時間は
私の中では
止まったままだけど
何年も何年も気持ちが動かないのは
辛過ぎて困る
想像しただけでもゾッとする
でもだからと言って
死別で本当の自分に向き合い
自分らしくこんなに
輝いて生きてます…
とはなれない
そういう方を見ては
比較しても意味がないし
表に出してない姿もある事も
あるだろうと思うものの
やっぱり気分が良くない
比較ってなんでしちゃうんだろう
生きるだけで精一杯なのに
でも、夫との死別で
こんなにも他者から応援されて
愛されてるその発信者が
羨ましくもある
こんなに励ましてもらえて
いいなぁって
こんなに活躍出来る場が
用意されてて
いいなぁって
沢山お金も集まって
次への事業展開も出来て
いいなぁって
夫への慕情や祈りと共に
私の現実の生活を
どうにかしなくちゃいけない事の
いつも狭間にいて
この2年の事
夫が鬱になった時の事を
とにかく忘れちゃいけないって
それだけは
思ってる
毎日生きてるだけで
もう許してほしい
もう二度とこんなに苦しい事は
無理だから
食糧危機
金融崩壊…
こんなに苦しんだ私には
そんなの耐える力は
ありません
生きるだけで勘弁してくれないかな
もう何かを失ったり
無くなる事に焦って不安になったり
慣れない新しい事を強いたり
したくないの
穏やかに安心安全に
心豊かに楽しく
過ごしていきたいだけなの
何かを生み出せなくても
許してほしい
けじめ
頭のどこかにはありながら
そのままにしていた事がある。
昨日先方からの連絡で
動悸と背中がぎゅーっと収縮した。
私のこの感覚は
嫌な物、苦手な事に対して
起こる。
それは夫との死別後に
わかってきた感覚。
これまで我慢をしていた事に気づかず
この世界ではこの麻痺状態な方が
好まれる…そう思っていたのかもしれない。
でも、今一人になって
こういう身体の反応、心から湧いてくる感情や感覚は大切にしなくては、とわかっている。
相手は、一見私を心配して
思っての事。
それはそんな面もあるだろう。
でも…何度も嫌な気持ちを抱いた人だ。
心にもう嘘はつけない。
そこをお断りして
私は初めてその世界にけじめを
つけられるのかも知れない。
お世話になったから
将来格になるから
そんなもの今の私には必要ない
けど、将来の私にとってはどうだろうか?
そんな迷いで眠れなかった。
ここまでしてあげたいという親心はわかる
有難いとは思う
でも、本当は…
もう関わりたくない
恩を感じていつまでも
して頂いたとしがらんで生きたくない
今日は心理の治療だったので
先生に素直に話してみた
先生はなんでもわかってしまう
コンピューターで
波動測定から読み解きをする
Oリングは人がやるものだから
大なり小なり
その人達の思いで動く部分もある
でも、これは人が介入出来ないレベル
調べてもらったら
やっぱりね
という結果に
けれども、それは
ある意味、私がそこにケジメをつけて
自分の行きたい方向に行くと決意させる為に
現れた人であり、事だったともとれる
おそらくそうなのだろうと
深く納得した
見えない色んな事が
明るみにわかる世の中なんだなと
つくづく思う
縁起は必ず因がある
私の中の
抱えていた感情の後始末をさせる為
そして、その因と決別する為に
新しい因を撒く為に
ちゃんとケジメをつける
その為だったんだな
先生から
私は、思う以上に
魂は強いしエネルギーも大きいですよと
言って頂き
主人も穏やかな光の元へと行けているのは
私の力によるものだと仰って頂けた
それは嬉しい
素直に喜ぼう
自分を低く見積もらず
ちゃんと夫の御霊の為に
役立つ事は出来ているんだと思えば
本当にパワーバック出来る
これから今夜はお能の日
夫も一緒に来てくれているだろうな
一年半過ぎて
今年の6月は三回忌。
今1年7ヶ月目。
昨年の今頃に比べたら
ずいぶんと気持ちは楽になっている。
身体も足取りはしっかりと
大地を感じて
歩けるようになった。
そして、辛い死別前後の映像や
思いを鮮明に何度も反芻する事も
少なくなってきたように思う。
でも時折
朝起きては
なぜこんな事が自分の身に飽きたのか
と嘆き
本当に現実の事なのか?と
絶望し
なぜ?とその命のもったいなさに
まだまだ活躍出来たのにと
悔しい気持ちと
それなのに、心からその奥底の辛さに
寄り添えなかったのだと
後悔する
この流れは
今もある
でも次の瞬間には
別の事に目を向けられている
そこに留まる時間は短くなっては
きているかもしれない。
ここまで
よく頑張ったな。
けど、これから
どうやって
自分一人で生きていくんだろう
そこがまだ見出せない。
夜通し、好きな人や何かヒントになりそうな
YouTubeばかり見て一日が終わる日も多い
時間も昼夜逆転している
夜2時頃寝て、朝は9時頃に起きて
10時に朝ごはん
やすらぎの里で
規則正しい早起きの体のリズムを作ったのに
また元に戻ってしまった
色々やらなくてはいけない事も
たくさんあるのに
心も身体も少しずつ
元気にはなっているのに
動けないのではなく
動きたくない気持ちが続いている
それでいて
どうしたら
自分のビジネスが確立するんだろうって
悩んでばかり
核になるものさがしをしている
私しか出来ないのは
こんなに辛いグリーフを経験した事
そこからの今日までの歩みから
経験した事
思った事
それらはもしかしたら
同じ自死遺族になってしまった方の
お役には立てるかもしれないと
このブログを書いている
1年7ヶ月経った今
平穏な日常は取り戻せている
でも、仕事はできないままなので
生活収入は
遺族年金と保険金と遺してくれたものを
使わせてもらっている
なんとか
自立自活して
制限なく
自由に
罪悪感なく
使えるようになりたいと思う
その為に
何か人の役に立って
きちんと利益も出る何かしらの
ビジネスをしなければなと
思う
かと言って
世の中のゴリゴリ数字の誇張ばかりの
集客ビジネスはごめんだ
私には合わない
キラキラとした女性らしい起業も
今の気分ではない
もっと深く静かな
ただただ静寂の中で
五感を震わせて
今ここに心を置ける
自分と繋がる時間の供給
語りたければ語り
ただ感覚に身を委ねたいだけならそれでもいい
花鳥風月の中で
お抹茶とお菓子を頂いて
心の中の深い深い悲しみや辛さや
後悔や、あるいは希望など
なんでも話したければ話して
自分の心と翼を軽くして
ほんの少しでも楽になって
家路に向かえる
そんな居場所を提供出来たらな
と今は考えている
私こそが
あの時
そんな場所が欲しかったから
お茶の点前と呈茶と
季節の語らい
心の思いを安心して出せる場
死別悲嘆のセキュアベース
そんな心安らぐ居場所を創りたい
死別から1年半経って
今日は立春
2022年がいよいよ本格的に始動する日
死別から一年半経って
改めて去年の今頃を振り返ると
とにかくコロナ禍で人に会えず
悲しみに暮れて
アマゾンプライムを見ながら夕ご飯を食べたり
寒くて、太陽の当たる午前中は
ベランダでお日様に辺りながら
ひたすらぼーっとして泣いていたなぁ
どうやって生きていけばいいのか
こんな時代の変化に取り残されて
この世の終わりみたいに思ってた
ほんとに悲しくて辛かったから
でも、一年経って
悲しみの感覚は
たしかに変わっている
まだ毎日外に出て
仕事に行くとかは出来ないけれど
普通に散歩したり
買い物したり
普通の日常は送れている
この間まで
聞かなかった
夫のiPadや
見れなかった
写真も
ここのところ
夫の好きな音楽が詰まった
iPodを流すだけで
夫が聞いているような
私にとっての
守りの波動ミュージックのような
そんな気がして
心の痛みが修復してきたのかもしれない
去年は、音楽聴くだけで
夫を思い出して
無念な自死を
受け入れられずに
苦しくて聞けなかったもの
時間ってすごいなぁと思う
それに
積極的に去年は
グリーフケア講座に出たり
分かち合いの会や
魂的な生死の真実とか
色んな事を学び
色んな治療も試みて
なんでも経験してきた事が
心を強くしてくれていたのかもしれない
色々あったけれど
今は
夫の最期の選び方を
尊重しようと思うし
世の中的には自死はダメだと
色々な考えから言われているけれど
そうは言っても
それを選んだ家族がいる自死遺族にとっては
そんな情報は信じなくていい
と今は思う
これからは
自分が信じた世界が
自分の世界を創る時代
自死にいいもわるいもない
だってそれまで
懸命に56年間生きたんだもの
そのうちの27年を共にいてくれて
30年も会社に貢献して
多くの人に笑顔と思いやりと知識で
役に立ってきた夫を
よく頑張ったね
辛かったんだもんね
突然お別れして
とても辛いけれど
ほんとは、
この心に抱えたグリーフは
あなたを想う繋がりの糸なんだって
わかったよ
自死の上に
私にとっては裏切りの行為も発覚して
もう訳が分からなくなって
ぐちゃぐちゃになって
自己破壊が起きたけれど
今は、いつもイマココにいて
穏やかにゆっくりと
生きてます
あなたの遺してくれたもので
なんとか暮らせている事に
感謝だし
私と一緒にいてくれて
沢山の経験をさせてくれて
最後の最後に
私の魂の成長となる
こんな試練を与えるお役目を
負ってくれて
そこには敬意と感謝しかないの
こうなれるまで
一年半かかったけれど
これからだって
落ち込んだり
悲しくて泣いたり
自責をしたり
無気力になる時はあるかもしれないけれど
いいの
それも込で
私は、穏やかに
あなたに恵まれて日々を
生きて幸せになるの
それで、いいよね?
いつも見守ってくれてる?
そっちでもお勉強やお役割があるんだってね
無理せず頑張ってね
それまでは十分魂を癒やして
よく休んでね
突然のPTSD
主人が自死した時
私が第一発見者となってしまった
その時の映像と
そこに至ったであろう
主人の辛さ
パニック
命を絶つ瞬間…
色々妄想してしまうと
大声を出してしまう…
ダメ!!!と
手を伸ばしてしまう
どこにいても
ふいにそれは起こる
涙はマスクに染み込ませ
深呼吸して落ち着かせる
辛いな…
遺された者の辛さが
これからもずっとついて回るのかと思うと
かなりしんどい
老衰とか
病気で覚悟をしてたとか
そうではない突然の死別は
本当に辛い
まだ一年3ヶ月
もう一年3ヶ月
こらからまた秋、冬と進む
寂しい季節がくるし
記念日も…
こんなのこの先ずっと
一人で味わうのは
耐えられないよ
しかもコロナという
人との距離感
こんな時に
人に頼れない自分
頼る人があまりに少ない自分
でも
これだけ打ちのめされる事が起きて
人脈が多いからと言って
立ち直るのが早いわけでもないだろう
応援される事で
少し元気をもらう事はあるかもしれないけど
けれど
一人で立ち直る
立て直すって
やっぱり寂しいし辛いね
こんなしんどい事経験するって
ほんとに自分で人生書いて来たのかな
痛い思いをするから
それを糧にして転換して…
そう出来たら立派だね
そう出来てる人もいるでしょうね
あの事があったからって
それは素晴らしい事だけど
今の私には
とてもプレッシャーだし
そんな綺麗事なんか言えない
なぜうつになり
自死しちゃったのか
精神科、抗うつ剤、医療体制、
主治医の怠慢、思い込み、保身…
会社の嫌がらせ、出世争い
本人の気質、幼少期の父母との関係
私との関係性…
色んな要素があるだろう
それを一絡げには
まだ出来ない
簡単に、こんな出来事があったから
今がある…なんて
まだ全然見えて来ないよ
一つ一つを超えるには
あまりに過酷
そして私の人生も有限
何も為せないでは死ねない
これだけはわかってる
だけど、どうこれを転換していけば
夫も浮かばれ
私も生きていけるのか
自分で決めるって言っても
真っ暗闇なんだよ
だからもがいて苦しいの
それが今のリアルな私
今日は思いのたけの記録
仕方のない事だけど
思い出す時
それは不意にやってくる
例えば、
目を瞑って天を仰ぐ時
もうダメだ…
そういう時がある。
そんな時
夫が亡くなる前に
そうしていた映像が目に浮かぶ。
私は何度もそれを目撃していて
というのも
夫がそういう仕草をする時
私は最もらしく
偉そうに
これからの時代の事
目に見えない世界の話などを
していた。
隠し事はばれるよ、とか。
道徳的な事とか。
聞きかじった事とか。
そんな時
天を仰いでいた。
今ならわかる
聞いてたんじゃない
もう言わないでのサイン
彼はその時自分を責めていたのだろう
それで誰にも言えず苦しかったのかもしれない
そこに、私が正論をぶっかける
そりゃもう
目を瞑って、聞きたくない…よね。
サインだとわからなかった
でも今ならわかる
もうどうしようもなく
何も聞きたくない
ただただ
天を仰ぎたくなる
静寂を感じ
もうダメでも許されたいという
一念
今ならわかる
貴方の思いが
辛かったんだね
その時からずっと
ごめんね
わかったような事言って
得意げに
目の前にいたのに
サインをわかってあげられなくて
ごめんなさい
今私は
よく天を仰ぎます
どうやって生きていけばいいのか
わからなくて
不安で寂しくて
思い出すと
涙が止まらなくて
マスクがあって良かったとさえ
思う
思い出すと辛い時期
一つ一つ自分の行動が
貴方を思い出す事に直結してしまうから
思い出さないのも辛い
まだしてあげたい事何も出来てない
でも遺品に触れるのも辛く
遺品整理なんかしたくない
一年と3ヶ月
日常は送れているけど
今もニート未亡人
時々お仕事
こんなのでいいの?
突き抜けられない
かと言って
人の前に立てる程
エネルギーが回復してるわけじゃない
どんどん年を取るのも怖くて
1人で生きてなんかいたくないよ
この混迷期
パートナーがいない事が
こんなに不安で怖くて
虚しいなんて
こんな時に1番必要なのに
代わりは嫌なんだよ
貴方じゃなくちゃ
今日も天を仰いでいます。