nystarの日記

昨年突然に自死遺族となってからの日々の記録です

グリーフケア学習の日

今日は1ヶ月の夏休みを経て

グリーフケアの講義の日

 

お題は 自死

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先月の新盆で

苦しさがぶり返したものの

月末には持ち直し

 

9月は何となく少しずつ

気力が戻っているのを

感じていた

 

 

今日の講義で

また戻ってしまったら

どうしよう…と一抹の不安

 

けれど、このお題

 

なんとしても受けなければと

覚悟を決めた

 

 

自死とその遺族

 

それぞれの立場を検証し

例を見て

感想を伝え合う

 

 

正直、かなり

激しい描写を伝えてくる人もいて

(その方は自死遺族ではない)

 

他人だからこそ

そんな風に言えるんだな…と

思った

 

自死されたら

同じマンションに住むものとしては

迷惑

 

とか

 

自死した人の遺体の事を

必要以上に強調し

その映像等を見せたら

きっと自死なんてしないと思う

 

とか

 

 

知らないからね

その人達は

 

自死する人は

迷惑かけたくて死ぬわけじゃない

 

どんなに映像で学んだところで

死ぬ瞬間は

そんな知識や理性など

吹っ飛んでしまうんだよ

 

苦しくて

不安で

もうラクになりたい

 

精神薬の副作用もあるだろう

 

夫は突発的だった

 

私は薬害だと確信している

 

だから…

普通の状態ではないって事

 

本人だって後悔してるかもしれない

 

でも、それを選ばざるを得ないほど

苦しかったんだと

私は理解してあげたい

 

どんな亡くなり方でも

誰も尊重してあげなければ

夫も浮かばれないじゃないか

 

自分の大切な かけがえのない家族が

自死したら

遺された者はどう感じてるのか

 

 

それは、味わった者でなきゃ

わからないんだ

 

だから

そんな意見を言う人も

悪気はない

だってグリーフケアを学んでいるくらいだもの

 

でも…

 

アウトプットの際に

題材が題材なのに

笑って高いテンションで

自分の視点からしか見えずに

話す人を

 

私は直視出来なかった

 

ましてや、上記のような思いを伝える人の

話は聞きたくなかった

 

思わず顔をしかめたくなったので

zoomのビデオを、オフにした位

 

グリーフケアを学んで

地域とか社会で

グリーフケアをなさろうとしているのかもしれないが

 

こんな人にケアが

出来るわけないな…とさえ

思ってしまった

 

経験してないんだもの

経験してても

親戚、友人など

直接の家族じゃないんだもの

 

わかるわけないよ…

 

話せる場があれば

本当の事伝える場があれば

分かち合いの場を開きたい

 

などなど、皆さん

博愛精神のやうな活動をしたいらしい

 

遺族って

自死だって事

それによって自分がどんなに傷ついてるか

って事

 

なかなか言えないんだよ

言うタイミングも人も選ぶしね

 

お節介にならずに

そばにいるからね、と

背中をさすってくれたり

話を聞いてくれたり

 

それだけで良い時もあるの

 

自死への批判は

主人への批判に聴こえてしまうから

 

そんなもの聞きたくないし

そんなカウンセラーには頼りたくない

 

だからね

辛いししんどいけど

私がこの講座に参加するのは

 

自死遺族の私が

リアルな教材だと言う事

 

人それぞれの反応や捉え方はあるし

平均的に、傾向的に、もない。

 

その人それぞれの反応があるだけ。

 

 

あるがままにさせておく

それが一番の救いなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼岸のお墓参り

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朝から一人で

お墓参りに

 

誰かがもうお花を

手向けてあった

 

主人のご先祖もいるから

どなたかが参ったのだろう

 

お墓の横に

曼珠沙華

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お彼岸の時に必ず咲くのね

 

そして明日は

主人の誕生日

 

 

8月終わりに

もうこれで最後と

 

視える方のところへ行った

 

 

主人は

お墓の近くの

白いドームのところにいると…

 

見覚えがなく

わからなかった

 

だから今回一人で行ったのは

それをどこか確かめたかったから

 

なんとなく

目星はついていた

 

 

そこへ辿りついて

確信した

 

 

ここだ!

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婚家の墓は

ちゃんと区画されたところにある

そこに納骨もした

 

けれど

そこではなく

こっちにいるらしい

 

こちらにもお花とお線香を

手向けてお参り

 

ここにいたのね…

 

こっちは他の人もいるのかな?

また人の役に立ちたいと

ここで何かしてるの?

それとも寂しくて?

後悔して佇んでいたの?

 

私一人残しちゃったんだもの

そりゃ後悔よね

 

心配で上になんか行けない?

 

来年は3回忌

その時までに

私ももう少ししっかりするから

 

今だってすごいレジリエンスだよ?

 

大丈夫だから

とはまだ言えないけど

必死に生きてる

 

 

貴方が上に上がって行けるように

心配かけないようにしなきゃね

 

 

私としゃぶしゃぶを食べたいんだったね

今半のお肉でよくお家で食べたもんね

 

明日の58歳のお誕生日

こちらは中秋の名月🌕よ

 

今半のお肉も買った

お団子も買った

 

明日の夕べは

一緒に過ごそうね

 

 

 

 

 

 

 

何一つ捨てたくない

遺品の整理

亡き人の物の断捨離

 

私は、主人が亡くなって

すぐ引越ししなくてはならなくなって

新しい家には

全ての荷物は持っていけず

手放したものが沢山あった

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オシャレな主人は

お洋服を沢山持っていた

どれもこれも

思い出がある

 

嬉しそうに着ていた顔

この服来た時こんな事あったよね

とか

 

悲しくなって

そこでストップしてしまう

 

触れられないのだ

 

そして今

新しい家に移り住み

間もなく一年

 

夫のものは一つも捨てていない

まるで生きてるように

会社に行っているように

一つの部屋のクローゼットは

主人のもの

朝使っていたものも

ワゴンに並べて

 

主人がいた頃と同じように

レイアウトして

日常を取り戻してきた

 

亡くなったからといって

捨てなくちゃいけないなんて

誰が決めたの?

ってある日気づいた

 

今は一つとして

捨てたくない

 

ならそれでいい

 

それがとても私にはラク

自分にやさしい選択

 

触れると心が痛いし

捨てるなんてもっと辛い

手放して誰かに…も

色々面倒

本当に大切に使ってくれるかも

わからないし

 

とにかく

伴侶を亡くしたらわかる

 

自分の半身が失われるほどに

力を失くすんだ

立っているのもやっと

歩いていても足を引きずるようにしか

歩けない

お腹に力が入らないという事

 

そこからは随分回復はした

 

でもだからといって

主人の物を潔く手放せる気持ちには

まだなれない

 

いいじゃないか…それで

 

世の中断捨離がいいとか

物は少ない方がいいとか

なんだかんだ

物に溢れた人の事

悪く捉えがちだけど

 

手放せない理由がある

そんな人、状況もあるって事

 

主人のものは

何一つ捨てたくない

 

これが今の私の本心

 

手放そうと思えるその時まで

大事に大事に

置いておけばいい

守られてるみたいで

安心だもの

 

今の私は

安心、安全、安定

するものが1番

心が落ち着くから

 

それでいい

 

 

 

 

 

 

寂しさも悔しさも

9月から、別の人として

志事をしていくことにした。

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婚家の苗字で活動する事で

迷惑や心配をかけたくないから…

が1番強い。

 

そして、新しい自分として

誰の何のしがらみもない

自由な表現をしたかったから。

 

 

自死遺族になって

まだ1年

 

心の中の闇は深く

傷もまだまだ疼く時

 

悲しみの質は少しずつ変わってきたけど

思い出せば苦しくなる

寂しさも悲しみも悔しさも

まだまだ自分の中にある

 

会いたくて仕方ない

夫がいない人生は本当に嫌

 

何をしてもつまらなくて

無意味

 

でも生きていかなきゃならないから

新しい勉強もして

資格も取った

この1年

良く頑張ったと思う

 

このままじゃいけないって

 

自分の精神が壊れるのが怖くて

生活出来なくなるのも怖くて

人生が終わるのが怖かった

 

死のうと何度も思ったけど

このまま死ねないとも思ってた

 

まだまだ混乱してるし

気持ちも焦りもぐちゃぐちゃだ

 

けれど仕事は

公に対してのもの

お客様ありき

 

当然社会的な顔で

切り替える

 

内面は出せない

出してもいいけど

浸れない

 

そして共感はしていいけど

同調したら

あっという間に気が落ちる

未浄化な思いが

湧いてきて

苦しくなる

例えお金を介在させていたとしても

 

それだけエネルギーの交流って

目に見えないだけに

境界線がないとも言える

 

けれど

社会の顔と

本当の私を

乖離させ過ぎたら

本当に自分が分裂して

ますます苦しくなるのは

目に見えてる

 

だから自分で自分の

内側のマグネットの周波数を

絶えず見ておく事は大事

 

そこの調律に雑音となるものには

触れない、会わない、行かない事

要は視界にも耳にも

入れない事

 

そのバロメーターが

自分の感覚、感情なんだ

 

外に合わせてばかりだと

内の音がわからないし聞こえない

 

内に潜る事

怖いけど

無理せずに

 

自分のその感覚がたっていたら

内と外が違う音だと

すぐわかる

 

いいとこばっかり

凄いとこ綺麗なとこばっかり

善き人のふりして上から目線

正義を盾にただ支配したいだけの腹黒さ

どんなに恵まれてるかの自慢を

したいだけ

 

社会的な場では

みんな仮面をつけている

 

自分だってそう

 

ここまでの衝撃的な事があると

人の心は止まる

 

だから

時間があると

ついつい見ていたSNS

あっという間に一日が終わっていた

 

悲しみを感じなくてすむから

それが1番の理由

 

でも同時に比較感情も湧いて

焦りや劣等感

時間を無駄に過ごした自分を

嫌悪して

余計に苦しくなったりもした

 

 

もう外を見るのはやめて

私をちゃんとわかってよ

 

 

聞こえた私の中の声

 

だから

今は好きな人のものだけ

それすら頻度を圧倒的に減らして

自分を表現することに

時間を使っている

 

そして

どう見せるかも大事だけど

どう在るかはもっと大事

 

自分のほんとうを見せるのは

何もかも曝け出さなきゃいけないわけじゃない

 

いつでも自分を見つめてあげる力

今日は、この私の為に

時間をどう使ってあげようか?

 

そこを腹の声に一致させていくこと

 

今この瞬間

今この瞬間

 

その繰り返し

 

自分を本気で立て直す

その時期が来たんだ

 

全ては私が選ぶ

My beautiful world is made of my choice.

 

私の好きな世界を

これからは創っていきたい

 

ここまで少しずつ

エネルギーが溜まってきたから

思える事でもある

 

 

 

 

 

9月

2021年も残り4ヶ月。

そして、死別して

1年と2ヶ月が過ぎた。

 

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(私の大好きな空のグラデーション)

 

一周忌、納骨、新盆

そして

今月は、彼の誕生日とお彼岸。

 

いわゆる記念日の一つ。

 

今私が思うのは

 

彼の遺品は一つも処分したくない

という事。

 

四十九日過ぎたら

三回忌過ぎたら

◯◯過ぎたら…

 

関係ないよね。

 

物があると思い出して辛くなるから

 

それは本当にそう。

 

だけど、私は一つも捨てたくない。

今は…

 

まるで生きてた時と

同じように

 

会社に行っていないだけかのように

生きていた時と同じ日常に

したい思いがあるという事。

 

未練、執着ではないの。

 

ただ、帰ってくる

一緒に暮らしている

 

そういう感覚じゃなきゃ

本当に生きていられなくなる

という事。

 

2度と会えない

2度と帰ってこない

2度と一緒にご飯を食べたり

出かけたりする事もない

 

つらくて悲しくて

未だ嫌だもの

 

でも、彼の日常使っていたものが

あるだけで

クローゼットのネクタイ見るだけで

会社に行ってるって

思えるの。

 

そしたら

気分が

少し落ち着くの。

 

ご飯も毎回陰膳してる。

一緒に食べたいから。

 

食いしん坊だったのに

小さなお皿にお取り分けして

おりんを鳴らして

「ご一緒に」

 

それがせめてもの

私の償いと儀式

 

まだまだしんどい

でもそれも当たり前

 

まだ一年なんだもの…

 

どうしたら楽になれるんだろうって

去年はもがいてたなぁ

だから苦しかった

 

あの時もっと浸らせてあげれば

良かったなと思う

 

今は一杯泣いて怒って

落ちるとこまで落ちてもいいし

寝てばかりでもいいし

したいようにしていい時なんだよって

 

とにかくゆっくりして

何もしなくても

何も出来なくても

自分を責めずにね

って言ってあげたいなぁ

 

 

 

 

わかってくれてると思えた時

自死遺族の

死別後の苦しみは

 

経験した人じゃないと

わからない

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わかりようがないのね

経験してない事は

なんでもそうだから

 

類推したって

自分の身に降り掛からなければ

100回聞いたって

わからない

 

だから

巷での心理学とか

死別を乗り越えたように見える有名人の

言葉とか

本とか考え方とか

 

色々勧めてくる人もいて

 

それは

少しでも

私に元気になって欲しいという

優しさからだとわかっていても

 

素直にそれを

ありがとうとは

受け取れないのが

今の私

 

乗り越える

 

この言葉は

時に暴力

 

乗り越えられたんですね

超えられたのね

元気そうでよかったわ

 

一年経った今

そんな風に言われる事が

増えてきた

 

違うよ

 

忘れていられる

思い出さない時間が

増えたから

そう見えるだけ

何かに集中する時間が持てるように

なったから

動く気力が回復したから

そう見えてるだけ

 

心の中は

思い出せば

また暴風雨だし

 

現場の映像を

反芻するPTSD症状は

未だにあって

苦しい

 

なんで?

どうして?

とそこからまた繰り返してしまうし

視える人に頼りたくなる事もある

 

それが今の

本当のわたし

 

乗り越えたんじゃないよ

頑張って、他の事に

集中してるだけ

しばしの間忘れるように

してるだけ

そうじゃないと

自分が辛くて動けないから

 

起きてしまった事は

もう変えられない

夫にはもうこの世では会えない

 

その絶望と喪失の痛みと

先の不安と深い悲しみを

心の中に抱えて

生きていく

それらと共存して

生きていかなくてはならない

という事 

 

それは決して乗り越えるのではないの

 

あなたの大切な人が

大切な愛する人を失った時

 

ほんの少し元気そうに見えても

 

どう?落ち着いた? 

とか

元気そうで安心した

とか

強いな、乗り越えたんだね

とか

 

言わないであげて欲しいなと

思ってしまうけど

 

他人の捉え方は

私とは違うかもしれないね

 

そう言われて前向きになれる人も

もしかしたらいるかもしれない

 

でも自死遺族は

色んな葛藤を抱えて

生きている事

 

少しでも慮ってあげてほしい

軸って

ほんとに綺麗だった

昨日の夕焼け

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自分軸を立てる

 

よく聞く言葉

 

私のこれまでの人生

何が軸だったのか

 

ないわけじゃない

その時その時

これ!というものに出逢い

突き進んでいた時もあった

 

 

けれど

いつも心の中は

満たされていない

何か

これではダメだ!

って思っていて

 

何をやっても

どうせ私なんて

があった

 

 

それを

夫と結婚した事で

払拭出来たと思い込んでいた気もする

 

いえ

結婚しても尚

こんな私

何も成せてない自分

何も出来ない自分に

いつもいつも腹が立ち

 

それでも優しくしてくれて

色んな体験をさせてくれた夫

 

この人といれば絶対大丈夫って

思ってた

なりたい私になれてるって

 

いつか軸をしっかり立てる時が来るって

この人といればって

 

 

それが突然亡くなって

自分軸どころではなくなり

 

とにかく生きる事自体が

しんどくて

悲しくて虚しくて仕方のない日々

 

今でも

 

何かを為せたとしても

何かになれたとしても

 

そこに夫はいない

2人で何かを紡ぐ事

新しい思い出を紡ぐ事は

二度と出来ない

 

だから何をやってもね…と

思ってしまう

 

けれど進む為に

ある勉強はしてきた

コツコツと

 

学ぶ事は

ある意味守られている環境で

 

けれど

そこから巣立たなくちやいけない時がきて

そこで今止まってる

 

怖い

この体力気力で

人と向き合えるのか

 

嘘偽りなく

全てをオープンに出来るほど

心も回復していない

傷はまだ疼いてもいる

 

何が出来るっていうの?

今の私に

 

自分軸さえ見失った

 

わたしとは…

 

培ったものも

わけあって今は離れている

戻る気は今はない

 

けれどその世界観は大好きで

機会があれば

居心地の良い人達と

その場を作り上げたい思いは

密かにある

 

けど今じゃないんだ

 

今の私が出来る事

去年の苦しい私が欲しかったもの

今の私が欲しいもの

 

そっちを振り返る方が先

 

好きな世界の事は

日常を忘れる為になってしまって

それは人によっては

とても良いリフレッシュかもしれない

 

でも今の私には

それは現実からの逃げになる

 

まずは私の自立が第一

そこを立てて軌道に乗せた先の

自由を得た時に

もし縁があれば…という感じ

 

 

8月こんなに心がぶれて

揺れてしまうとは思わなかった

 

去年は暑い中

3つの家を行ったり来たり

重い書類を背負って

接骨院に通いながら

引越しの内見もしながら

よくよく

本当に頑張ってた

 

1年経った私から

あの日の私に言える事は

 

今も苦しいけど

少し暮らしは安定してるよ

不安、悲しみはあるにはあるけど

あなたの今ほどじゃないよ

一年なんとか生きてるよ

何もしなくても生きてるよ

 

色んな事があった一年だけど

少しずつ

少しずつ

心の澱を薄くはしているよ

 

そう言ってあげるかな

 

悲しみの色合いが違うのか

濃度が違うといえばいいのか

 

あの日あの時のわたし

 

よく頑張ってるよって

大丈夫、一年後もなんとか生きてるからと

 

ただそれだけ言ってあげたい