新盆
今年は夫の新盆
(昨日夕焼けがとても美しかった)
私の実家とは
宗派が違うから
はじめての事
最初は
手許供養もあるし
小さいけど小さな提灯と
牛馬も
おがら代わりに
マンションでも焚ける
キャンドルとか…
色々用意して
1人静かに
お迎えしようと思っていたけど
なんとなく
気になって
気になるなら行こう!
とやはり墓参りへ。
猛烈な暑さだったけど
一通りお掃除して
お花を手向け
静かにお線香でお祈りして
汗だくながら
心は澄んだ気がした
御霊はお墓にいるわけではないと
私は思っているけど
夫の新盆は最初で最後の事
ちゃんとしきたりに従って
やってあげるのも
供養かなと思い直した
代々の家系のしきたりもあるし
24日の地蔵盆まで
いてくれるという
いつもいてくれてると思っていたのに
改めて
迎えるという行事に触れて
なぜか
どっと悲しみが押し寄せている
救えなかった
助けてあげられなかった
寄り添ってあげられなかった
わかってあげられなかった
後悔…
精神科と医師達に対しての
薬害を知らずに処方している事への
怒り…
そんなものがむくむくと
湧いた
あの時入院なんかさせなければ
薬を断固拒否してれば
こんな事にはならなかったかもしれない
という無念さ
このところ
夫を思い出すとしても
触れずにいた
心の中の深い傷
お盆を気に
またそこが
疼いたのかも
まだ一年だもの
まだまだ心は複雑に傷ついている
それが本当の今の私なんだ
誰に対しても優し過ぎたんだ
今年も早7月
後半に入った
やり残した事はないかな?
(鎌倉円覚寺の紫陽花🌸)
一周忌近辺のこの頃は
去年の事
その前の事
脳が勝手に
自動で思い出してくる
この一年
色んな激しい思いを
味わった
ノートに書き殴ったり
一人で泣いて泣いて
泣き通したり
時には人に八つ当たりしたり
専門家や聞いてくれる人に
打ち明けたりして
自分の感情を
吐き出してきた
ある程度の激しいものは
昇華したのではないかなと思う
まだまだ思い出して泣く日も
あるけれど
今その激しさが流れて
見えてくるのは
夫は本当に
心の優しい人だったんだという事
私にだけじゃなく
みんなに…
その分とっても繊細で
気違い屋さんで
心を疲弊して
窮屈にして
溜めていたんだろうな
優しいから
断れない
優しさ故に
ズカズカと入り込まれる
優しい故に
我慢を重ねて
優しい故に
自分も優柔不断で
嫌われるのも怖くて
受けいれてしまう
断ればよかったね
色んな事
断って出世出来なくても
断って嫌われても
断って態度を変えても
私がいたでしょう?
誰に嫌われたって
私は絶対あなたを見捨てないよ
全部一人で背負ってたんだね
自分のキャパを超えて
最後まで責任感で
1人でやろうとした
立派だけど
それで心も体も壊したら
元も子もないよ…
精神薬のせい
精神科のせい
産業医のせい
会社のせい
人間関係のせい
義親のせい
本人の気質のせい
私のせい…
何かのせいにしたい気持ちと
自分を責める気持ち
死別を経験したら
これはみんな
当然思うことなんだって
常識では
外側のせいではなく
全て自分が創っているというじゃない?
それはそうなんだけれど
そう俯瞰して
ゆっくり自分を振り返るのは
直後や一年足らずでは
無理な事もある
そんなのは
ゆっくり
感情が穏やかに
波立たなくなった時に
振り返ればいい
何かのせいにしたい時が
あるんだって事
そうせざるを得ないほど
キツくて苦しくて辛いんだって事
段階があるの
私はそれを知った
そして
今、夫の事
誰に対しても優しい人でいたい
そうやって
生きた人だったんだなって
理解出来た
激しい嵐の感情が過ぎて
心が癒されたわけでもないけれど
ぼんやりと
そんな人だったんだなって
思う
そんな優し過ぎる人だから
うつ病にもなって
悲観して
自分で命を終えちゃったんだなって
思うの
繊細で気の優しい人
人の気がつかないところが
わかる人
いつもその賢さで
綿密にリスクヘッジして
計画立ててくれて
こんな旦那さんで
私は本当にありがたいなって
思ってたし
誇りに思ってた
同時に
こんな
何にも出来ない嫁で
ごめんね
お嫁さんにしてくれて
ありがとうとも
思ってて
返せなかったなぁ
色んなご恩を
感謝の言葉を
愛の表現を
だから
やっぱり
ごめんなさい
今はこの気持ちが
1番強い
これが
一周忌を超えた
今の私の本当の気持ち
一周忌を終えて
少し早く
今日、一周忌と納骨を終えた
ようやく一年
もう一年
どちらもある
お天気が良かった事に感謝
何事もなく無事終えた事に感謝
新しい位牌に
魂入れをして頂き
小さな星台を
手許供養にした
いずれソウルジュエリーに
するかもしれない
喪のビジネスとわかっていても
守られたい心の安心と
思っていたい思慕から
何度もサイトを見たりして
この一年
自助の会では
まだ一年未満の私には
なんとなく
皆さんが優しくて
自分の事より
私を気にかけ慮ろうと
されていたように感じる
まだ一年満たない私を
どうか受け入れて欲しいという
こちらの気持ちもある
逆に随分年数経っても
参加されてる方を見て
そんなに長く悲嘆のケアは
かかるのか…
と絶望した時もあった
けれど、それは個人差があるとわかったし
揺り戻しという
普段の暮らしは回復しつつあっても
ふと、急にガクンと落ちる事も
あるから
そんな時のERや
安心安全な保健室代わりに
参加される人がいる事も
一年経って
ようやく理解出来てきた
悲嘆の深さ、長さなどの
過程が知りたくて
今月から
グリーフケアも学び始めた
正直心の傷や情景の記憶が
生々しくて
感情が揺れ動き
酷く体の緊張と
しんどさと
消化できてない
色んな感情が湧き出てしまう
そして、そういう講座には
自死遺族でない
例えば
医療従事者や
緩和ケアサポート
社会福祉士など
グリーフケアを必要としてる人を
知る為に
学びに来ている人の方が
数が多い事もわかった
だから
当然ながら
自死遺族なりたての私とは
テンション、明るさが違う
まだ、私はその明るさに
違和感と抵抗を感じている
自分の状態を相対的角度から
見ることが出来るからこその感覚だ
それだけの事が起きてしまったのだもの
そんな反応も仕方のない事
それでも学ぶと決めた
そして今日の一周忌
四十九日より
落ち着いている
涙も出なかった
淡々とこなせた
コロナ禍で
余計な親戚付き合いもなく
直の家族のみ
会食もなく
現地解散
あっさりしてる
けれど、それくらいが
丁度いい
本当の命日は
もう少し後
今朝は
夫のお気に入りの萩焼で
献茶を捧げて
出かけたよ
今日も色々
義家族とは勘違いが
あったけど
取るに足らない事
お互いの確認不足
リカバリーも可能な事
今日くらいは
刃を外には向けたくないから
夫も観てるし
だから
蓋をするのではなく
ただ傍観した
結論
気を遣うのではなく
きちんと話し合って
記録に残す事
今日は
頭脳は明晰に
気持ちはフラットに柔軟に
そんな日になった
帰って遅いお昼を食べ
ムーランを観て
オンライン坐禅をやって
今日の佳き日を閉じよう
三回忌まで
また1日を生きていこう
自死遺族にとって
1番辛い事
これは私の場合
死別のショックや衝撃や悲しみ…
これらは
誰でも
とんな関係性でも
あると思う
順番が相応で
寿命と考える場合には
仕方ないねと
悲しいけど
安らかに穏やかな気持ちで
故人を弔えるだろう
けれど
私みたいに
突然自死されて
第一発見者になってしまった場合
その光景と
それまでの数日間や
その直前までの
故人の様子が
記憶にこびりついて
なんでもないのに
ふと蘇って
苦しくなったり
パニックになったり
大声を上げてしまったり…
それが辛いんだ
ほんとうに辛い
衝撃的な映像と
なんでこんな事したのか
何があったのか
なんでこんな選択をしてしまったのか
あの時から
いえもっと前から
兆候はあったんじゃないか
とか
過去を遡っては
本人の本質、在り方
私の本質、在り方
2人の関係性に腹を割って
向き合ってこなかった事
自分の怠慢や驕り昂り…
そして行き着くのは
義両親や義家の
教育、在り方だったりする
そこを責めたって仕方ないのは
わかってる
でも鬱病の人は
メンタル的に
そこにストレスや縛りを抱えて
生きてる人が多い
そして
それを無自覚な人も多い
後は食事
繊細で些細な事もとても気になる
過敏性大腸症候群で
不眠症で
お腹がいつも冷えてたり
お腹周りに脂肪がついていたり
甘い物、精製されたもの好き
添加物バリバリの
ファーストフードも好き
見事夫は合致している
そして、頭がいいから
脳の隙間を嫌う
知識を詰め込んで思考し
為になるアウトプットもするけれど
基本
いつもどこかに行っていた
休日なんて殆どなかった
脳に隙間を作るのは
旅行に行ってた時位なのかな
旅行をお楽しみっていつも言ってた
そう…
前々から
そんな兆候があったんだ
そばにいても
そんな知識もないから
前兆が小さい時に
対応していたら
ここまでには
ならなかったかもしれない
今、私は
色々調べて
PTSDの治療に
ニューロフィードバック
というものに通い出している
過酷な戦争体験のある兵士の
回復に使われた療法
心理カウンセリングでは
EMDRを勧められた
過去はなくならないし
変えられない
だから記憶もずっと
残ってしまう
それを鮮明に
今に
思い出してしまい
心身が反応してしまうんだ
これもなった事ある人じゃないと
わからない
夫の死因は伏せているから
一般的には
心不全って事にしている
だから
病院で亡くなったんだろうとか
家で亡くなったんだろうとか
まぁその程度まで
思う人も少ないと思うけど
実際は
警察、救急車が来て
私も動揺して
救急車で運ばれて…
静かに看取れた
わけじゃなかった
突然の永遠の別れ
慌ただしくその後の事
決めなくちゃいけない
目の前真っ暗ながら
受け入れられないながら
進める事は
進めなくちゃならなかった
ある意味
心の麻痺を起こさせ
感じる心を
止めていたように思う
だから
周りの人達に
今の私を見て
元気そうで安心した
だなんて
言わないで欲しい
って思ってしまう
今でもPTSDに苦しみ
真実と壮絶な状況だった事を
言えない苦しみ
幸せそうに見える友人家族らへの
嫉妬
自分の人生への絶望
そんなものをね
抱えているんだって事
言えたらいいけど
言えないの
だから
分からなくて当然
だから
黙って背中をさするとか
手を握るとか
よくよく生きてきたね
がんばってきたね
って気持ちを示すだけでいい
そして、私もね…って
家族を亡くした時の事
話す人もいるかもしれないけど
ごめんね
人の話は聞けないの
伴侶
コロナ禍(災害)
そのままそっくりなら
貴女はどうだった?
ってこちらも聞ける
でも
祖父母や両親、子供
しかも老衰とか
闘病とか寿命だったりしたら
ちょっとニュアンスが違うの
大切な人との死別って
その関係性や
天寿によって
その悲嘆の深さや苦しみは
それぞれに違う
そして
自死遺族の第一発見者は
相当に言えない壮絶な
苦しみを抱えているって事
経験した身だから
わかる事
経験してなければ
わからない事
わかってほしいなんて
思えない
経験してなければ
絶対にわからないもの
ただ言えない程の
苦しみがあるんだなって
思ってあげてて欲しいって事
元気にしてるのは
元気そうに見えるのは
あなたの前だけかもしれないよ
PTSDに苦しんで
治療に行き
自助会に言って
本当の思いを可能な部分だけ
吐き出し共有し
何も見出せず
何も出来ず
生きてるだけで精一杯なのかも
しれないって事
私はそれを知った
それを経験した
見える部分の表面と
見えない心身の領域
それ全部で
人間
見えない領域は
その人の思いや考えの部分だから
膨大で制限がない
そして揺れ動く
日替わり、分変わり、秒変わり
安定してなんかいないの
うつろうのに
辛辣な記憶は
留まり続け
私を刺激してくる
今はそんな時期
自助の会について
自死遺族の為の
わかちあいの会は
探せば
いくつかあります。
死別直後
私は
事実を受け止められず
誰かにどうしたらいいのか
とにかく
話して
聞いて
答えなり標が
欲しかった
けれど世はコロナ禍で
どこもここも
開催中止
3ヶ月過ぎると
オンラインで
ぼちぼち開催するところが
出てきて
カウンセリング等も
オンラインが増えてきたように思う
1番苦しかった時
たしかに
わかちあいの会は
助けになった
泣きながらも吐き出せる事
寄り添ってもらえた事
それは今でも感謝しかない
でも
zoomが終わると
なぜか
酷く疲れて
話してしまった
罪悪感があった
外部の人には
一切内緒にしている死因
親族、義家族さえ言えない
本心、胸の内
そんなものを吐き出していたから
よく聞いてくださっていたな
と思う
けれど
今11ヶ月目を迎えるに
もう新しいところで
ストーリーを初めから語るのは
やめようと思ってる
どんなに話しても
夫は帰ってこない
そして
もう1番言いたい人(義母)には
言えたから
今は
分かち合うというより
恐らくは家系の因縁から
あるいは諸々の因縁の関わりから
私の中に生じている思いを
どう消化するか
それを
宇宙の真理から見たら
どんな事なのか?
どうすべきなのか?
を知りたいと思っている
仏陀の言葉の本を読んだり
物事の道理から
この思いがけなく
瓦解してしまった人生を
どう立て直すのか
そればかり考えている
悲しみを分かち合う時期は
過ぎたのか…
いえ
今は向き合う事から
離れたいんだ
悲しみより
人生を
命を
全うするために
何に気づかなくちゃいけないのか
それを探っている気がする
けど
探してるうちは
辿り着けない事も
わかってはいて
探す事さえやめて
何食わぬ顔で
普通に戻って生きる事
悲しいことがあったとは
思えないほど
普通に
日常を
淡々と送る事
ただそれでいいのかもしれない
向き合うには
気付くには
あまりに要素が
たくさんあり過ぎて
傷が疼くし
感情も落ちる
そこに
ある事は認めて
そっと布をかけている感じかな
けれど
参加したいわかちあいの会もある
一つだけ
9月からずっと参加してきたところ
そこには
私のこれまでを見守ってくれた人達が
zoom越しながらいて
名前も覚えてくださっている安心感がある
参加者も
あ、今月もいる…
と顔を見るだけで
元気かな?
大丈夫かな?と
心の中で思ったり
羽休めの居場所
そして来月から
グリーフケアの学習も始まる
ここも自死遺族の方主催
自分の中の悲しみを
ぶり返させるのは
たしかに辛いんだけど
これは私の身に起きた事だから
乗り越えようと思う
そのために
色々経験して
自分に1番合う物を
残していく
そんな過程なのかなと思う
誰とも話したくない人もいるだろう
そういう人は
自分の好きにしたらいい
とにかく
自分を良く知って
自分の好きにしたらいいんだ
こんなあり得ない死別を
経験したんだもの
心も体も
相当なダメージを負っている
そんな友人がいたら
黙って背中をさする事しか
出来ないよね
かける言葉すら
躊躇われるだろう
自分にそれをやってあげるって事
安心していいよ
ずっといるから
心が安らぐようになれるなら
なんでもいいよ
何もしなくたっていいくらい
それだけの事があったんだもの
よく頑張ったよ
よくやってきたよ
偉いよ
自分を楽にしてあげてね
好きにしていいんだよ
なんの制限もかけなくていいんだよ
そんな風に
いつも自分を労ろう
揺り戻し
薔薇が
咲き誇っていますね
明後日は11回目の
月命日
この一年
いえ
その前から
経験した事もない
どん底を
味わい
色んな事で
なんとか
道を見出したいと
もがいてきました
来月は
一周忌
その前の週に
かねてより
頼まれていた
主人の友人達が
お参りに来てくださる
主人の友人達に
しっかりおもてなししなきゃ
とか
主人の本当の事を言えず
良き妻を演じられるだろうか
とか
会社の方に
やっぱり
主人を偲ぶ会を
やって頂きたいなと
思ったり
義家族と会う事になり
また表面的に
良い嫁を演じて
気疲れして
不機嫌になるのではないか
とか
私自身
仕事をどう生み出していけばいいのか
とか
全て未来に対する不安
ここ一年
マインドフルネス瞑想や
坐禅をなるべく身近において
きた
それでもやっぱり
過去の後悔、罪悪感、怒り、苦しみ
は思い出せば
今感じてしまうし
未来への不安や恐れや
こうしなければ…の信念観念も
やっぱり出てくるの
今にいる事を
これだけ学んでいても
そうなんだ
今にいる事が出来ないなら
それでいいって
もう開き直ろう
今にいれない
彷徨う自分が
いるんだなと
それも客観視出来る自分で
あればいい
大切な人を自死で失い
色んな事を遺されて
生きてる望みさえ
もぎ取られたんだ
そんなに一直線に
回復なんてしなくていい
ようやくそれがわかった
ここまで私は
なんとか
早く立ち直って
元気になって
早く収入を得て
とにかく
生活基盤を作らなくてはって
必死に抗ってきたのかもしれない
思うだけで
なんにも出来ない日ばかり
殆ど引きこもりの日々だった
外に出て
友人とたまに会って
元気そうね
元気になったのね
って思われるのが
辛かった
そうじゃないもん
今、ここでは
貴女がいて
話が出来るから
気力が出てるけど
1人で家にいたら
色んな事
思い出して
思い耽って
涙を流して
何もできない自分を責める
いつか天にさえ
見放される恐怖や
焦りを感じ
やれ遺品は早めに整理した方がいいとか
断捨離すべきとか
志を立てろとか
理想のヴィジョンを望めとか
なんでそんな情報を
自ら入れるのか
わけわからない
YouTubeを流したり
自分責めの酷さに
本当に呆れる
起きた事はもう
変えられない
色んな要因があっての
自死であった事
マインドフルネスを学んで
脳の解析からも
自死への衝動に
わかる事があった
もっと前に
あの時それを知っていたら…
止められたかもしれない
もっと何かいいお医者さんや
僧侶の方に出会えたかもしれない
止まない後悔
今涙を流す時間は
当初より
この冬より
短くはなっている
1人だから
基本無口に
無表情に
生きてる
最近多いのは
やはり後悔
そして
悔しさ
そして変わらないのは
幸せになりたい
という心の声
今あるものに感謝して
っていうのが禅
それはそうだよ
今日もいのちがあって
ご飯も食べられて
時間も好きに使える
けれど
それでも
幸せな状態とは
思えない
どんなに嫌な家族でも
生きてたら
解決法はいくらでもある
でも亡くなってしまったら
話す事も
聞く事も
理解し合う事も
出来ないんだ
だから
あの世の事が
わかってる人じゃないと
私はカウンセリングは受けたくない
と思ってしまう
同じ苦しみを
経験した人じゃないと
傾聴してもらいたくないとも
物事の真理
ひいては
あの世とこの世のしくみ
よのなかの本当の事
それを知って
その上で
夫の事
自分の事
義家族の事
これまでの他人との出来事
からの学びを気づきに変えたい
出来ればそれは
私のオリジナルストーリーだから
それが後々
誰かの役に立つのなら
表現もしていきたいと思ってる
人のSNS見てると
本当に惨めで仕方ない
見るのやめよう
自分に寄り添おうとすると
すぐ
自分責めが始まって
なかなかメタ認知になるのに
時間がかかる
自分のレジリエンスさえ
もう期待するの
やめよう
いつまでも
悲しみに
苦しさに
悔しさに
怒りに
憎しみに
まみれてもいい
その波に海に
ドボンと入ってもいい
深く深く潜れば
そこは深海
深呼吸さえ
出来ないほどの
真空状態だ
悲しみと共にあるとか
そんな綺麗な事じゃなくて
ただその深海に
足を抱えて潜っていくことを
恐れず
許していく事が
今のわたしには必要
どこまでも
自分を許して
甘やかしてあげるんだ
もう元気になろうとしなくていい
回復しなきゃ
仕事しなきゃ
◯◯しなきゃ
生かされない
を手放そう
生かされないならそこまでだ
世の中に価値を提供できる
崇高な魂にしてあげられなくて
ごめんって謝ればいい
来世の方、どうか頑張ってって
バトン渡せばいい
諦めながら生きてもいい
初めてそう思った
「人生諦めるな」
「諦めが肝心」
笑っちゃう
この矛盾
自己啓発なんて
もうクソ喰らえだ
今まで
なんで
こんなに
自分はダメな人間だと思って
知識を方法を次から次へと
取りにばかり
行ってたんだろう
暇だからって
簡単に言う人もいるね
結構その苦しみを
知らない人だったりする
言葉は
刃にもなり
心に火を灯したり
ざわつかせたり
私はね
言葉というものの
向こうにある
人の背景、信念、思いを
見通せるようになりたい
見えない95%から
その人が語る言葉の
本心を
見透かせるように
なりたいと思う
まぁいずれ
みんなサイキックになって
なんとなく
それがわかるようになるでしょうけれど
自分に合わない物
合う物を
感覚立ててわかるには
やっぱり人の事ばかり
見てたり
気にして
エネルギー落としてちゃダメだしね
でも
自分の過去や未来ぐらい
色々感じるのは
私はいいと思ってる
気分がいい事ばかりが
穏やかとは限らない
いつなんどきも
どんな自分も
そうなってしまう自分を
許す事
見守る事
そばにいてあげる事
聞いてあげる事
それが自分を愛する事なんだね
後悔したり
自責をするのが辞められず
引きこもって
何も成さない自分も
今そういう自分なんだからと
否定せず
そばにいてあげる事
動かなきゃ
見出さなきゃ
何か、何か、何か変わらなきゃって
する事を
もう
やめよう
心の揺り戻しを
丁寧に見つめ
寄り添い
人と比較せず
そんなものにも触れず
今は山の行だと思って
静かに
心を慰めよう
何も出来ない自分でもいい
いいわけないでしょ!って
ざわざわしてるけど
動けないんだから
仕方ない
初めての事なんだもの
もういい人を辞めよう
いい◯◯をやらない
なるべくね
だって出来ないんだもん
疲れるし
不満も溜まって
気分が落ちる事ほど
非効率な事はない
自分を回復させる為に
人目、良き人を
やめてみる
山の行より里の行とは言うけれど
山の行とは
毎日毎日
悟りを得るまで
修行をする事
自然の中に
様々な気づきを得たり
同じ志をもった
師や同朋らと
切磋琢磨して
とにかく
今目の前のことに
全力を傾ける
そこには
別に
稼ぐという事をしなくても
生きていける
何かによって
現実的に守られ
生活していける
贅沢を思わなければ
けれど
本当の行とは
里の行なんだ
人の想念渦巻く
この世で
どれだけ
山の行での境地を
維持しながら
つまり
悟りを得た者の状態で
もの、こと、人に
接する事が出来るか
しかもこの世界は
金銭を得ないと
というより
価値を出さないと
必要なものが
得られない構造になっている
わたしは
今
1人
家にこもって
山の行をしてるのだろうか
行でもないね
何もしてないのだから
とにかく
何もせず
ただただ時間を無駄にしている
そんな事してたら
人生あっという間
時間ないよ!
という人もいるだろうね
私だって
いつも
そうやって
自分を責めてるの
でも
それしか
出来ないんだ
どんなに怠け者だと思われても
それしか出来ない
夫が亡くなったショックも
もちろんあるけれど
亡くなる前からそうだった
何をしていいか
何をして生きていったら
誇らしい自分になれるのか
分からず
今日も同じ時間を
無駄に過ごしていくだけ
余生
隠居とは
こんなものなのか
違う
歳を取っても
日々挑戦して
財を得て
生き生き過ごしている人は
沢山いるだろう
私は
今
そのエネルギーが湧かないんだ
そりゃそうだ
あんな過酷な死別を体験したんだもの
心が麻痺して
何も考えられなくて
体も鈍って
動けない
これもうつ病なの?
これがうつ病なの?
知らない
だって精神科なんて
行きたくないから
これまで何を積み重ねたきたのか
それさえ向き合いたくない
だって
対して積み重ねてなんて
きてないもの
人生、時間の無駄遣い
それしかしてない
いつか
トンネル開ける時が
来るんだろうか…