nystarの日記

昨年突然に自死遺族となってからの日々の記録です

自助の会について

自死遺族の為の

わかちあいの会は

探せば

いくつかあります。

 

死別直後

私は

事実を受け止められず

誰かにどうしたらいいのか

とにかく

話して

聞いて

答えなり標が

欲しかった

 

けれど世はコロナ禍で

どこもここも

開催中止

 

3ヶ月過ぎると

オンラインで

ぼちぼち開催するところが

出てきて

カウンセリング等も

オンラインが増えてきたように思う

 

1番苦しかった時

たしかに

わかちあいの会は

助けになった

 

泣きながらも吐き出せる事

寄り添ってもらえた事

それは今でも感謝しかない

 

でも

zoomが終わると

なぜか

酷く疲れて

 

話してしまった

罪悪感があった

 

外部の人には

一切内緒にしている死因

親族、義家族さえ言えない

本心、胸の内

 

そんなものを吐き出していたから

 

よく聞いてくださっていたな

と思う

 

けれど

今11ヶ月目を迎えるに

 

もう新しいところで

ストーリーを初めから語るのは

やめようと思ってる

 

どんなに話しても

夫は帰ってこない

そして

もう1番言いたい人(義母)には

言えたから

 

今は

分かち合うというより

 

恐らくは家系の因縁から

あるいは諸々の因縁の関わりから

私の中に生じている思いを

どう消化するか

 

それを

宇宙の真理から見たら

どんな事なのか?

どうすべきなのか?

 

を知りたいと思っている

 

仏陀の言葉の本を読んだり

物事の道理から

この思いがけなく

瓦解してしまった人生を

どう立て直すのか

 

そればかり考えている

 

悲しみを分かち合う時期は

過ぎたのか…

 

いえ

今は向き合う事から

離れたいんだ

 

悲しみより

人生を

命を

全うするために

何に気づかなくちゃいけないのか

 

それを探っている気がする

 

けど

探してるうちは

辿り着けない事も

わかってはいて

 

探す事さえやめて

何食わぬ顔で

普通に戻って生きる事

 

悲しいことがあったとは

思えないほど

普通に

日常を

淡々と送る事

 

ただそれでいいのかもしれない

 

向き合うには

気付くには

あまりに要素が

たくさんあり過ぎて

 

傷が疼くし

感情も落ちる

 

そこに

ある事は認めて

そっと布をかけている感じかな

 

けれど

参加したいわかちあいの会もある

一つだけ

9月からずっと参加してきたところ

そこには

私のこれまでを見守ってくれた人達が

zoom越しながらいて

名前も覚えてくださっている安心感がある

参加者も

あ、今月もいる…

と顔を見るだけで

元気かな?

大丈夫かな?と

心の中で思ったり

羽休めの居場所

 

そして来月から

グリーフケアの学習も始まる

 

ここも自死遺族の方主催

 

自分の中の悲しみを

ぶり返させるのは

たしかに辛いんだけど

 

これは私の身に起きた事だから

乗り越えようと思う

 

そのために

色々経験して

自分に1番合う物を

残していく

 

そんな過程なのかなと思う

 

誰とも話したくない人もいるだろう

そういう人は

自分の好きにしたらいい

 

とにかく

自分を良く知って

自分の好きにしたらいいんだ

 

こんなあり得ない死別を

経験したんだもの

 

心も体も

相当なダメージを負っている

 

そんな友人がいたら

黙って背中をさする事しか

出来ないよね

かける言葉すら

躊躇われるだろう

 

自分にそれをやってあげるって事

 

安心していいよ

ずっといるから

心が安らぐようになれるなら

なんでもいいよ

何もしなくたっていいくらい

それだけの事があったんだもの

よく頑張ったよ

よくやってきたよ

偉いよ

自分を楽にしてあげてね

好きにしていいんだよ

なんの制限もかけなくていいんだよ

 

そんな風に

いつも自分を労ろう