nystarの日記

昨年突然に自死遺族となってからの日々の記録です

一周忌を終えて

少し早く

今日、一周忌と納骨を終えた

 

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ようやく一年

もう一年

 

どちらもある

 

お天気が良かった事に感謝

何事もなく無事終えた事に感謝

 

新しい位牌に

魂入れをして頂き

 

小さな星台を

手許供養にした

 

いずれソウルジュエリーに

するかもしれない

 

喪のビジネスとわかっていても

守られたい心の安心と

思っていたい思慕から

何度もサイトを見たりして

 

 

この一年

自助の会では

まだ一年未満の私には

なんとなく

皆さんが優しくて

自分の事より

私を気にかけ慮ろうと

されていたように感じる

 

まだ一年満たない私を

どうか受け入れて欲しいという

こちらの気持ちもある

 

逆に随分年数経っても

参加されてる方を見て

そんなに長く悲嘆のケアは

かかるのか…

と絶望した時もあった

 

けれど、それは個人差があるとわかったし

揺り戻しという

普段の暮らしは回復しつつあっても

ふと、急にガクンと落ちる事も

あるから

そんな時のERや

安心安全な保健室代わりに

参加される人がいる事も

一年経って

ようやく理解出来てきた

 

悲嘆の深さ、長さなどの

過程が知りたくて

今月から

グリーフケアも学び始めた

 

正直心の傷や情景の記憶が

生々しくて

感情が揺れ動き

酷く体の緊張と

しんどさと

消化できてない

色んな感情が湧き出てしまう

 

そして、そういう講座には

自死遺族でない

例えば

医療従事者や

緩和ケアサポート

社会福祉士など

 

グリーフケアを必要としてる人を

知る為に

学びに来ている人の方が

数が多い事もわかった

 

だから

当然ながら

自死遺族なりたての私とは

テンション、明るさが違う

 

まだ、私はその明るさに

違和感と抵抗を感じている

自分の状態を相対的角度から

見ることが出来るからこその感覚だ

 

それだけの事が起きてしまったのだもの

そんな反応も仕方のない事

 

それでも学ぶと決めた

 

そして今日の一周忌

四十九日より

落ち着いている

涙も出なかった

淡々とこなせた

 

コロナ禍で

余計な親戚付き合いもなく

直の家族のみ

会食もなく

現地解散

あっさりしてる

 

けれど、それくらいが

丁度いい

 

本当の命日は

もう少し後

 

今朝は

夫のお気に入りの萩焼

献茶を捧げて

出かけたよ

 

今日も色々

義家族とは勘違いが

あったけど

取るに足らない事

お互いの確認不足

リカバリーも可能な事

 

今日くらいは

刃を外には向けたくないから

夫も観てるし

 

だから

蓋をするのではなく

ただ傍観した

 

結論

気を遣うのではなく

きちんと話し合って

記録に残す事

 

今日は

頭脳は明晰に

気持ちはフラットに柔軟に

そんな日になった

 

帰って遅いお昼を食べ

ムーランを観て

オンライン坐禅をやって

今日の佳き日を閉じよう

 

三回忌まで

また1日を生きていこう