nystarの日記

昨年突然に自死遺族となってからの日々の記録です

何もしない

今日は

朝ヨガもせず

ウォーキングもお休み

 

午前中は

自死遺族の為の

僧侶の会で

お世話になって

 

会いに来てくれた母と

おしゃべりして

 

YouTube徘徊して

 

最後は

大沢先生の

安眠ヨガをライブでやって

おしまい

 

引きこもりの1日

 

生産性はない

 

でも

同じ自死遺族で

まだ浅い方に

私の場合の

過ごし方を話せて

もし

その方が

少しでも

安心した気持ちに

なって頂けたなら

私の経験も

役に立ったかな

 

そんな些細な事で一日を

終える日の方が多い

 

けれど

なぜか

 

もう今日で

命終わりね

となったら

 

それはそれでいいかもしれないと

 

初めて思った

 

それまでは

夫のいない人生

どうやってこの先

生きたらいいのか

 

生きて行くこと

どうやって食べていくか

どうやって幸せになれるか

 

これまでの自分にダメ出ししながら

生きて行くこと

を考えていた

 

それでも

今も何も出来てない

 

物を買ったところで

どうせあの世には持ち越せない

という虚無感

 

なら

もう

いつ命終わろうと

それはそれだと

力まず

覚悟はしておいて

 

いつ逝っても

悔いないように

今を心地よく過ごす事で

よしとしようって

思った

 

生きよう

生きなきゃ

と思うと辛い

 

そういう時期なんだって事

 

そりゃ

魂の使命や天命に

巡り会えて

毎日を充実して過ごせていて

豊かに安心して

幸せだったら

それは素晴らしい事

 

でも

なんか

もう疲れちゃった

 

自分の魂の目的の元に立つ

 

それは本当の願いだけれど

探すのはもうやめて

出来てない自分を卑下するのもやめて

 

安易な自己受容も

自己肯定も

やめて

 

今をただ

安らぐ中に

過ごす事

 

それが今ほんとにしたい事

 

何かを掴むために

夫の自死を無駄にしない為にと

何かを学んだり

知識を入れたり

 

少し疲れちゃった

 

頭に入らない

目も見えない

字も読めない

 

一人暮らしだと

音だけが友達で

それで

ラジオやYouTube

ずっと流して来たけど

 

それもおやすみ

 

癒しの音楽や

サイマティクスの音だけで

今はゆったり眠れる

 

不安や恐れは

その瞬間はない

 

もうそれで充分じゃない?

 

まだ一年も経ってないんだもの

よくここまで回復したよ

 

この先また

悲嘆が強くなる時も

あるのかもしれない

 

今は10カ月目の

私しか経験してないから

これから先はわからない

 

けど

今この瞬間を

穏やかに

安らかに

過ごす事は

自分で出来てる

 

揺れても落ちても

涙を流して虚しくなっても

それが

その瞬間の本当の私

 

本当のわたしを

そのまま

生きる事

 

そんな当たり前のこと

 

それを

こうならなきゃ

糧にしなきゃ

って

いつも自分せきたてて

ダメ人間扱いしてたな

 

責めても責めなくても

いつか

命は果てていく

 

生かされるまま

今は希望も夢も

描けなくてもいい

 

そんな光の強いものより

朧げな月の光に照らされる位が

丁度いい

 

明日はほんとは

28年目の結婚記念日

これからも

一緒にいてくれるのかな

ひとりでお祝いなんか

寂し過ぎて出来ないよ

 

新しく買った

好きな音色のおりんと

携帯用の写真立て

 

少しずつ

お気に入りの祭壇にさせてね

 

想う気持ちを大切にしたい

それだけが

今やりたい事