nystarの日記

昨年突然に自死遺族となってからの日々の記録です

山の行より里の行とは言うけれど

山の行とは

大本山修験道

毎日毎日

悟りを得るまで

修行をする事

 

自然の中に

様々な気づきを得たり

 

同じ志をもった

師や同朋らと

切磋琢磨して

とにかく

今目の前のことに

全力を傾ける

 

そこには

別に

稼ぐという事をしなくても

生きていける

何かによって

現実的に守られ

生活していける

贅沢を思わなければ

 

けれど

本当の行とは

 

里の行なんだ

 

人の想念渦巻く

この世で

 

どれだけ

山の行での境地を

維持しながら

 

つまり

悟りを得た者の状態で

もの、こと、人に

接する事が出来るか

 

しかもこの世界は

金銭を得ないと

というより

価値を出さないと

必要なものが

得られない構造になっている

 

 

わたしは

1人

家にこもって

 

山の行をしてるのだろうか

 

行でもないね

何もしてないのだから

 

とにかく

何もせず

心のままに

ただただ時間を無駄にしている

 

そんな事してたら

人生あっという間

時間ないよ!

という人もいるだろうね

 

私だって

いつも

そうやって

自分を責めてるの

 

でも

それしか

出来ないんだ

 

どんなに怠け者だと思われても

それしか出来ない

 

夫が亡くなったショックも

もちろんあるけれど

 

亡くなる前からそうだった

 

何をしていいか

何をして生きていったら

誇らしい自分になれるのか

分からず

今日も同じ時間を

無駄に過ごしていくだけ

 

余生

隠居とは

こんなものなのか

 

違う

歳を取っても

日々挑戦して

財を得て

生き生き過ごしている人は

沢山いるだろう

 

私は

そのエネルギーが湧かないんだ

 

そりゃそうだ

あんな過酷な死別を体験したんだもの

 

心が麻痺して

何も考えられなくて

体も鈍って

動けない

 

これもうつ病なの?

これがうつ病なの?

 

知らない

だって精神科なんて

行きたくないから

 

これまで何を積み重ねたきたのか

 

それさえ向き合いたくない

だって

対して積み重ねてなんて

きてないもの

 

人生、時間の無駄遣い

 

それしかしてない

 

いつか

トンネル開ける時が

来るんだろうか…