去年の今頃
引越ししたこの家から
桜が見える
昼間は蝶が舞っていて
長閑でぜいたくな眺めに
深呼吸したくなる
贅沢なマンションでもないけれど
ここは
夫が亡くなった後
母に見つけてもらったところ
でもいくら思い出しても
なぜここを見つけたのか
わからないという
見学に来た時
アーチにアオスジアゲハがいた
夫だなってわかった
夫が母にメッセージしたのだろう
ここで一旦休んで、と。
去年の今日は
重度の鬱病から
強制入院となった翌日で
必死だった
桜並木を見ながら
一緒にタクシーで
大学病院に行った
だから
本当は桜は胸が痛い
毎日病院に通い
出来るだけ
一緒に過ごして
病院食も美味しくなさそうで
お粥を炊いて
持っていったっけ
あの頃に戻れるなら
せめてコロナなんかなかったら
長くちゃんと入院して
私も毎日通えたのに…
1週間もたたないうちに
緊急事態宣言、外出自粛が発令されて
病院も面会謝絶になった
コロナのプレッシャーが
がなかったら
海外転勤辞令を断っていたら
もっとゆとりを持って
良くなったかもしれなかった
あの頃に戻って
やり直したい
私も不安で一杯一杯で
優しく出来なくて
ごめんね
あの日に戻りたい
もっと言えば
元気で幸せだと思っていた頃に
戻りたい…
薄皮を剥ぐように
気力が出ていると思ったのに
昨日の自死遺族つどいの会に出たら
なんだか
苦しさがぶり返してきた…
見ないようにしてた
心がまた揺れたからかな
前を向いていると思えてたのに
これから6月までの間は
どうしても
去年を思い出して
日を追ってしまうかもしれないなぁ
がんばれない1日
生き延びた1日
時間は有限
けど
何も生み出せない
ただ感じるだけ
最低限の事をするだけ
そんな日ばかり
過ごしている
死別反応
夫と死別して現在9ヶ月目
今の状態はというと
3月に入って
今年は暖かいせいもあり
2月までとは
ほんのすこぅしだけ
気分の安定を感じ
また、歩く速度、力も
ちゃんと歩けている感覚
これを前向きというのかどうか…
以前は、足を引きずるようにしか
歩けなくて
その「音」に反応してた
それは、夫と退院後
散歩をしていた時
同じ足音を隣で聞いていたから
あぁ、あの時こんな風にしか
歩けなかったんだな
辛かったんだな…
なのに、私は横でその音に
不安と、
そんな歩き方やめて!
早く元に元気になってよ…
って心の中で思っていた
主人のあの時の気持ちが
わかりすぎるのと
その時の自分に
なんと思いやりのない
自分勝手な思いだったんだろうって
その両方を感じて
痛みを感じてしまっていて
歩く事が辛くなっていった
特にスーパーの中
同じような足音をしてる自分が
辛過ぎて
もう二度と彼の為に
お買い物してご飯を用意する事の
楽しさを充実感を
味わえない事
それが現実として
受け入れられなかった
出来るだけ節約しようと
けれど、なるべく
体にも良いものを探そうと
ぐるぐるぐるぐる
スーパーの中を回って
足音聞いて
涙をマスクに湿らせて
歩く事しか出来なかった
今、少し違うの
スーパーは一つの気分転換
楽しみになっている
近所のスーパーは
オーガニックでもなく
添加物や大量生産のものばかりだけど
それでも買い物はやはり
目が癒える
買えなくても
なんだか
生命力を感じるんだなって
お魚、お肉、お野菜…
生きていた命が
並んでいる
それらで自分の体も
作っていけている
そんな大それた
循環に感謝するって
大袈裟でもなく
(もちろんその気持ちもあるけれど)
人がいて
活気もあって
選べる自由があって
それが
今の私は心地よさを
感じられている
素直に
ありがたいなって…
夫の残してくれたお金で
今日も食べるものが
買えたって
オーガニック食品とかで
揃えたいけど
金額が違うもの
たまにしか買えない
でもたまになら買える
今はそれで丁度いい
伴侶を失った反応は
日常まだまだ沢山出てきます
仏壇眺める時
遺品に触れる時
外で夫婦で出かけている人を見かけた時
決めなきゃならない雑事の時
1人でぼんやりしてても
ふと死別当時を思い出してしまったり
フラッシュバックが起きたり
PTSD反応の時
自助会で話した後のなんとも虚しさが湧く時
義家族との対応でわだかまりを感じる時
などなど
とにかく
何かにつけて
反応は出てしまうものなのだなって
わかりました
反応を変えようとせず
まずはその反応を面倒見てあげる事
感じてしまう自分を
感じさせてあげる事
哀しみが本丸だとしたら
その周りにいっぱい
くっついてる
さまざまな感情がある
それが一つ一つのシーンで
浮上しているんだ
その気持ちを
ただ受け止めて
わかってあげる事
そんな時期なんだなって
やっとわかった
それしないで
一人で拗ねてやさぐれて
周りに
1番大変で辛くて
可哀想な私をわかってよ!!!!
慮ってよ!!!
を腹の中でぐつぐつ
たぎらせてしまう時もある
それすらOK
人に当たってしまっても
それも仕方ない
気づいた時に
素直に謝ればいいし
ぶつけられた人が
私とは関わりたくないって
思うのも自由
嫌われても
私はその時の私の気持ちを
わかって欲しかった
思いがあったのだから
けれど、
やってみて
大事な話の時は
直接会って顔を見ながら
話した方がよいな…
という事
そして
話す相手もやはり
選ぶ必要がある
という事
コミュニケーションの基本
かもしれないけれど
こんな人生の霹靂の時は
そんなものは機能しない
私のグリーフケアは
今始まったばかり
なのだと思う
悲しむ事を許す
全ての感情が湧く事を
とにかく許す
一番辛いのは
過去どんなに
至らなかった自分を
許していく
ことかもしれない
今はまだ
なんであんな態度や思いで
接してあげなかったのか
なんでもっと寄り添って
心の内を聞いてあげなかったのか
なんでこんな生き方しか
出来なかったのか
今も出来ないのか
自己否定、自分責めが
物凄くて
けれどそれは
死別前から
抱えていたものでもある
いい加減
何も出来ない自分を
解放してやりたい
死別反応はこれまで
様々に現れてきました
少しずつ書いていこうと思います
はじめてのMRI
突然の別れから
怒涛の数ヶ月が過ぎ
やむなく引越しもして
開梱が半分落ち着いた頃
生理がダラダラと続いている事に気づき
バストの痛みも激しくて
体を横にするのも痛すぎる位だった。
身体、ホルモン、自律神経…
諸々崩れているのは当然だ。
更年期もあり
婦人科検診に行くと
子宮体癌の恐れがあるから
すぐにMRIに行って下さいと言われた。
結果、子宮内膜肥厚症との事で
ホルモン剤で生理を起こし
まずは子宮をきれいにしましょうとの事。
薬を飲んで、そろそろ生理になるその早朝
お腹に激痛が走り
震えも止まらず
声が出せない…
薬の作用だろうけれど
とても耐えられない
で、朝4時に救急車を呼んだ…
実は去年、救急車4回乗ったんだ
だから…?慣れてる
けど、今回は1人
とてもとても心細かった
病院に着く頃には痛みは治まり
1時間だけ横にならせて貰って
タクシーで帰ろうとしたら
ガラガラ声のお爺ちゃん運転手さんで
ナビ入れても道が分からず
路肩に止めて
会社に電話するっていう…
信じられない光景に
救急車で運ばれた身だったけど
途中で降りて
電車で帰ってきたという…
去年の11月の事。
本当に辛かったなぁ…
グッバイ、来世でまた会おう
今年のお彼岸が終わった。
あの世とこの世が繋がる期間。
私なりに
夫と私の両家のご先祖様へ
祈りと
故人達のゴミ取りをした。
見えない世界の事だけど
きっと気持ちの光は
届いているって信じたい。
みんな幸せでありたいのだから。
穏やかな幸せが好きか
ジェットコースター並みの
アップダウンの幸せがいいかは
その人の魂の好み。
今、JWAVEから
『グッバイ来世でまた会おう』
(インナージャーニー)
って曲が流れてきた
一瞬、ドキッとする歌詞で
びっくりしたけど…
【歌詞】
僕が死んでも猫になって君のそばにいるよ。
だから何も心配することなんてないのさ。
って。
引越してから
野良猫(白1、黒2)が
よくベランダに来て
正直ストレスだったんだけど
夫だったの?笑
それとも偶然?
…世の中偶然はないのよね。
なら、今この曲が流れたのは必然だ
何のメッセージ?
亡くなった6月からは
アオスジアゲハが夫だと
確信する出来事があったけれど
(それもそのうち書こうかな…)
追憶…慕情…かな。
私の来世があるかは
わからないけれど
逢いたいな…
逢いたいよ…
そして、謝って!!!
この唄
「何もしんぱいないよ」
って何度もリフレインしてるの。
夫はそれを伝えたかったのかな?
まだ最後の手続きやら
先の心配やら
色々あるけど
それがメッセージなら
なんだかしっくりくるかも。
おやすみ🌙💤
穏やかな有難い1日に感謝。
突然の別れ
2020年6月
夫が突然亡くなりました。
3月終わりに重度の鬱病で
緊急入院したあと4月には退院し
自宅療養中でした。
退院直後は
散歩に出かけたりも出来たものの
次第に力が無くなり
寝ているだけになり
身体もどんどん痩せて
食事が出来なくなっていきました。
薬の副作用も酷く
とても辛そうでしたが
コロナ自粛中で
本当は助けを求めたかったけれど
誰を頼ったらいいかわからない不安の中
必死でなんとか
一人で看病していました。
回復の兆しがなく
辛そうで
痩せていく夫…
もうこれは再入院かなと
看護の限界を感じていたある日
あと2日後は通院日だから
頑張ってお医者さん行こうねと
話していた
通院は嫌だとずっと拒んで
オンライン診療にしていた夫も
辛いと感じたのでしょう。
そうだね…と話していたその日
なのに
買い物から帰宅したら
夫は…
勝手に
旅立ってしまっていました。
突然にして
私は自死遺族となってしまいました。
はじまりの記
これから
わたしの心の中を
記していこうと思います。
突然の伴侶との死別による
深すぎる心の傷を
静かに眺め
寄り添う場として。